けんしくんずぶろぐ

おめんたいたい!けんしくんです!

字・END。

おめんたいたい!
けんしくんです!

息子たちの書く「字」が
とても汚い。

これまで二年間にわたって
朝の30分を学習時間にあて、
文字のチェックを行ってきた。

トメ・ハネ・ハライが
できていないとポイントが
つき、3ポイントたまると
千文字の書き取りになる。

三人息子のうち全員が何度か
書き取りをした。

取り組みの結果、
長男は少し丁寧に
書けるようになった。
丸文字でかわいいけど。

次男と三男はまるっきり
上手になる気配がない。

ちなみに朝学習の内容は
個々に任せ、採点も自由にしている。

僕は純粋に文字を見ている
だけなのだ。

本人たちは注意されれば
トメ・ハネ・ハライなんて
簡単にできる。

それなのに毎日、不用意に雑な
文字を書いてはポイントをため、
たまに千文字を課せられる。
反抗はせず、淡々と。

超絶時間のムダ使い。

では、なぜ字をきれいに
書く努力をしないのか?

結論からいうと、

「きれいな字に価値が見つからない」

からだろう。

本人たちの深層心理が
きれいな字を書くことに対して
美しいと感じたり欲求が満たされたり
するものではないということだ。

では親が価値観を押し付けて
いるだけかというと、そうでもない。

長男は中学生だった頃に、
定期テストというそれなりの
人生評価をされる場で、

返却された答案用紙に、
赤ペンで「字を丁寧に書くこと」と
書かれたことがある。

次男は昨年の三者面談で
先生から提出されたノートの
字が雑だという指摘を受けた。

三男も先日の面談で、
漢字テストの点数がよくない
原因としてトメ・ハネ・ハライが
できていないことを指摘された。

つまり、親だけが字を汚ないと
感じているわけでなく、他人様からも
同様で、実害も出ているのだ。



話は変わって、
道家には達筆な人が多い気がする。

最初に剣道を教わった先生は
トメ・ハネ・ハライのしっかりした
字を書いていたし、

次に教わった先生も書道の
ような字を書いていた。

高校の先生も、毎日提出する
剣道日誌の返信は崩し書きだけど
上手で、授業中ノートにマネして
書いてみたこともあるくらいだ。

それに、なぜだかわからないけど
剣道をやっていない人から、

「剣道やってる人って字がうまいよね」

こういわれることがある。

「剣道家=達筆」

この文化はどこから
やってきたのだろう?

剣道と書道のつながりを正確に
記した文献を見つけることは
できない。

その代わり、ひとつ参考に
なるものを見つけた。

昭和60年3月1日発行
【完全復刻版】剣術教範詳解

という、いかにも偉そうな
書籍の一文である。


P.4
第二章 第一節 武徳ノ意義

「武人カ自己ノ本分ヲ自覚し、其職分ノ遂行ヲ完璧タラシムルタメ…」


うん、わからん。

おそらく

「武道をする者は、
  自分の役割を自覚して
   仕事を完璧に仕上げる」

という心構えを説いた
言葉なんだと思う。

文章を手書きすることが
多かった時代には、誠意をこめて
文字を書くという精神的な文化が
存在したのではないか。

また、禅という宗教とも
関わりが深い剣道は、
写経して精神修行をする
場面もあったかもしれない。

こう考えると、
武士は字がきれい。

そして、
「剣道やってる人って字がうまいよね」

という印象が作られる
可能性がある。


先日、子供の字の書き方について
奥さんと割とホットな議論をした。

僕はいまだに字は
きれいに書いてほしいと
思っている。

しかし、奥さんは今どき
大人でも文章をほとんど
書かないし、こだわらなくても
いいんじゃないかと言う。

前職も前々職も
手書きすることが多かった僕には
全く納得のできない話だった。

意見は対立した。


次の日、文字を書く場面が
どれほどあるのか、仕事中に
意識して考えてみた。

言われてみれば、
たしかにパソコン打ちをする機会が
多く、一日に200字も書いていなかった。

その晩、帰宅した僕は
とんでもない場面に遭遇する。

夜ご飯を食べたあと、
子供が僕と奥さんの元へ
何枚か紙を持ってきた。

「これ書いて!」

渡されたのは、新学期が
始まるにあたって子供の情報を
記載する書類だった。

こまごまと「手書き」
しなければならないものが
あったので、僕の口から
強炭酸の泡を思わせるような

めっちゃ手書きするやないかー!!!!

という声がシュワシュワと
音を立ててはみ出した。

まだまだ世の中は
完全なデジタル化に
ならないはずだ。

身近な人で偉い立場になってみて、
字が汚いと恥ずかしいことに
気付いたという声も耳にした
ことがある。

将来、冠婚葬祭もあるし、
仕事で字を書くことも多いだろう。

「字が汚いから社長や議員になれない」

そんなことはあり得ないが、

「字が人格を表す」こともある。

字がきれいな人は
印象がよい。

文字だけきれいで
表面だけの人格では
いけないけど、

子供たちには
せめてもう少しきれいに
字を書いてもらいたいものだ。